sumanai’s blog

申し訳ない想いを寄せて

北上川、きったね~!

その昔、Twitterでフォローしてた方がベトナムに旅行した時のツイートが滅茶苦茶ココロに刺さった。

 

メコン川、きったね~!」

→アップされてた写真が、茶色要素多すぎた玄白。

 

そして今週末、盛岡の実家に帰って実感。

 

北上川、きったね~!」

 

そりゃよ、原因はわかってた。

「雪解けをあつめて汚し北上川

なんだろ?

 

それにしても、ちょっと早すぎではないか?これも、地球温暖化のせいなのか?岩手山にも、田植えサインである「岩鷲」が出てしまったし。コレ、本来なら4月の桜が咲く頃に見られるモンだという固定観念があったのに。

 

ん~で、雪解け水が川に流れてる今。国土建設省が忖度抜きに第一級と認めた一級河川である北上川はそりゃけっこう水位が上がってる訳で。

 

そういえば昨日。盛岡駅前で北上川に架かる開運橋を渡ってたとき。真下の堤防沿いの散策路が思いっきりギリギリ水位20センチ上がれば大惨事になりそうな危険な状況なのに、オークレーかけてるイキった方がジョギングなさってて。

 

「お前は、今の現状が危険な事。見えてねーのか?」

→ジョギング中に、不意に水位が上昇して足下すくわれてしまうリスク把握してねーのかよ?

 

えっとね。

そもそも盛岡は、昔は不来方(こずかた)という「誰も来ない所」という意味の地名で。早い話が、北上川雫石川・中津川の三川が合流するトコなんて洪水不可避だった訳ですよ。という訳で有史以来、街なんてできる訳がなかった不来方の地が。江戸初期、もともと青森県三戸町が本拠地だった南部家の居城になって。たぶん街づくりと同時に治水計画が進めらたと思うんだわ。

 

今でも、材木町をはじめ北上川左岸では、江戸時代以来の石組みの堤防が今でも残ってるんだけど。当時、北上川右岸は放置されてたようで。なんと、当時の古文書に「北上川の向こう側(=右岸)には住むな」と警告されてたらしい。

 

でも、それが明治になって。街に近い割にイイ空き地(=荒れ地)があったなと、北上川右岸に盛岡駅ができたきっかけになったんだわ。

 

ま、さっきも言ったが三つの川が合流した時点で相当な暴れ川要素がよ。盛岡においての北上川ははらんでる訳ですよ。盛岡において、北上川のリスクを回避する方法はただ一つ。

 

「増水になったら、さっさと流れてもらう。」

→そうされると、そこから80キロ下流で。地形のせいで北上川の幅ががせいぜい100メートル程度に狭窄されてしまう一関市で大惨事になってしまうんですよねー。

 

与太話なんだけど、終戦直後のカザリン・アイオン台風による洪水で一関市が壊滅的な被害を被った時。当時は占領下だったモンで、親切な米軍の偉い方が「ウチには原爆があるから、狭窄部を広くしてあげようか?」と言ったんだが。いざ調べたら、岩盤が硬すぎて無理だったらしい。まっ、いま考えたらいろんな意味で無理だったんだが。

 

あー、話が流れたんだけど。

結論から言うと。

 

・増水時に、川沿いでジョギングする盛岡市民はクズ。

北上川増水をあまり食い止めず、まんま下流にスルーしてしまう盛岡市はクズ。

・この際、岩手県内で北上川の水害を全力で受けてしまい。しかも、下流宮城県にスルーすることができない一関市に県庁所在地を据えると。この手の問題が一気に解決されるんじゃないでしょうか?

 

なんか、言い過ぎたかもだけど。

少なくとも、一関市民は。増水時に川沿いでジョギングなんてしません!

 

すまない。

 

 

メコン河―アジアの流れをゆく

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